2008/6/19:脱サラ青年は、農業で愛を耕す

《脱サラ青年は、農業で愛を耕す》
環境保全、自然保護が叫ばれる現在、人間らしく自然の中で自然と共に暮らしたい・・・と誰もが夢見てはいますが、現実問題として、なかなかそんな暮らしは実践できませんよね。
まして、愛する人と共に自然とともに暮らす・・・・なんて夢のまた夢。
しかし、世の中には純粋にそんな生き方を目指す若者達もいるものです。
彼は25歳当時、コンピュータなどの情報機器メーカーの研究室にいた。
工業系の一流大学を卒業後、激しい就職競走を勝ち抜き、そのメーカーの技術者として就職できた。
入社3年目まで、待遇も環境も何不自由ない社会人生活に満足していた。
2歳年下の彼女とは同期入社で、新入社員研修で意気投合しつきあい始めた。
付き合うといっても、お互い仕事が忙しく週末限定のデートも月に1・2回程度。
むしろ会社の昼休みに一緒にランチするのがデートみたいなものだった。
お互い情報産業の将来について勉強も重ねた。
いつの日からか、二人は結婚を意識していた。
2・3年後には結婚し、彼女は退職し家に入り、彼はこのまま定年までこの会社で研究を続けるのだろう・・・と考えていた。
子供も2・3人もうけて、平凡だが幸せな家庭を築いてゆくのだろう、と感じていた。
そんな風に考えていた入社3年目のある日、研究室の40代の上司が地方の営業所に左遷された。
研究者も利用者の現場を知る必要があり、彼の今後の研究のため・・・・という理由だった。
しかし、本当はその上司が担当して開発した技術に不具合があったからだった。
技術者であっても、社員である以上、研究室だけが職場ではない事を改めて思い知らされた。
「僕は、このままこの会社に一生勤めていいのだろうか?」
「いや、このままサラリーマンで一生を終わって良い筈はない。」
彼の心の中に、得体の知れない不安が影を落とした。
コンピュータ関連の情報機器メーカーに勤めていた彼は、入社3年目で、サラリーマン生活に得体の知れない不安を覚えた。
そんな時、大学時代のサークル仲間の友人から飲み会に誘われた。
学生時代に良く通った居酒屋で二人、お互いの近況などを語りながら久々に学生時代のように無邪気に酒を飲んだ。
その時、友人がグリーンツーリズム・ガイドをしている事を知らされた。
なんでも、都市生活者を対象に農村での体験農業とか、漁村での体験漁業、山村での山暮らし体験をガイドするらしい。
その頃、信頼する上司の左遷などで塞いでいたので、この際、久々に彼女と一緒にそのグリーンツーリズムの旅にでも参加してみようか・・・
と思い立ち、友人にツアー参加を頼み込んだ。
最近塞ぎこんでいた彼を気遣っていた彼女も、その旅の話に喜んで乗った。
友人から奨められた「農村での体験農業」に二人で参加した。
参加者は、彼と彼女を含めて8名。参加者が少ない事が不思議だった。
しかし、現地について宿舎となる農家に案内されて納得した。
その地域では、グリーンツーリズムの参加者を受け入れる農家が少ないのだ。
過疎化と高齢化で人口も減り、農家の数も減っているという。
しかし、その体験メニューのそれぞれが新しい発見の連続で面白くて楽しかった。
畑を耕したり、稲刈りをしたり、牛や鶏の世話をしたり・・・・
産みたての卵の美味しさや濃厚な牛乳に感動したり・・・。
そして、日が暮れて皆が集う囲炉裏端での団欒が嬉しかった。
その旅を終えて、彼女と二人、帰りの車中で、彼は新しい始まりを予感した。
グリーンツーリズムの旅から帰って、はじめてのデートで彼女は彼の言葉に耳を疑った。
「僕、会社を辞めて農業をやろうと思うんだ。」
「お爺さんが、岩手で一人で農地を守ってるんだ。そこを手伝おうと思う。」
彼女はあまりの唐突な話にはじめは本気にしなかったが、彼の真剣な眼差しに本気を感じて改めて驚いた。
グリーンツーリズムの農業体験が、自分の生きるべき道を教えてくれたという。
コンピュータの技術者から農業・・・・誰もが信じられない話だ。
彼女は、もちろん猛反対した。
彼女が結婚を考えるほど大好きな彼は、「技術者の彼」なのだ。
しかし、頭脳明晰な彼は、淡々と緻密な計画を彼女に話し始めた。
「お爺さんの農地があるとはいえ、いきなり農業を一人ではできないだろう。
だから、最初は地元の農協に頼んで農家の手伝いからはじめる。
農業とはいえ、最低限の生活のためにも売れる農作物を作ろうと思う。
あの地域なら、リンゴとか和牛かな・・・・。もちろん稲作も覚えなきゃね。」
最近ずっと見たことのない笑顔で、彼は嬉しそうに農業を営む自分の将来像を語っていた。
「・・・だから、農業で生活できる目処が立つまで、待っててくれないか?」
彼女の目を真っ直ぐに見つめて、彼はそう言った。
しかし、彼女はうなずけなかった。
そして、その後二人の関係はぎこちなくなり、きちんとお互いの意思を確かめることもなくやがて彼は会社を辞め、新天地・岩手に旅立った。
両親をはじめ、彼女や友人知人からも猛反対されながらも彼は、やっぱりコンピュータ会社の技術者を辞め、
お爺さんが一人暮らす岩手の農家に移り住んだ。
季節は春の農繁期。早速、祖父から農業の基本を学んだ。
トラクターの操作から田起こしの基本、田植えまでの準備・・・・
畑では種まきする野菜の順番、畜舎では牛や鶏の世話などなど学習することのあまりの多さに、頭脳明晰な彼もさすがに戸惑った。
しかし、そうした農作業の一つ一つを覚えることも彼には楽しくて仕方がなかった。
毎日が充実していた。彼は、いまここに生きている喜びを実感していた。
彼女とは、気まずい離れ方をしたが、それでも彼は彼女とつながっていると信じていた。
だから、時々は近況報告のようなメールを送ったが、彼女からの返信は3回に1度程度しかなかった。
しかも、彼女は彼女で会社の近況報告程度のものだった。
「彼女に待ってて欲しい」と頼んだが・・・・やっぱり無理なのかな・・・・。
農業を職業として選んで半年、田圃では稲刈りの季節を迎えていたが、彼には収穫の秋の喜びも今ひとつ足りない想いだった。
稲刈りシーズンもそろそろ終わろうか、という10月下旬。
田圃の中を見慣れない赤い車がゆっくりと走ってきた。
農道には不釣合いなその車を農家の仲間達とぼんやりと眺めていると、いきなり方向転換してこちらに真っ直ぐに向かってきた。
その赤い車は、彼女を乗せて、ゆっくりと真っ直ぐに彼に向かって走ってきた。
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